2008.8.28-29 家族旅行 8月28,29日、1年ぶりの家族旅行へ出かけてきました。 早朝から高速道路をひた走ること約三時間。長崎へ到着。 この長崎ペンギン水族館。実はまゆこがまだけいちゃんのお腹の中にいるときに訪れたことがあります。そのときはまだ「長崎水族館」という名称で、もうすぐ閉館するという看板が出ていた記憶があります。建物も非常に古かったのですが、その水族館がリニューアルしてペンギン水族館として生まれかわったのです。 その名の通り見所のほとんどがペンギンなのですが、近海のお魚も紹介しています。 ペンギンの水槽を下から見ています。右の写真が水面より上を見ている所です。 しかし、ペンギン様は自分で自分を可愛いと思っているとしか思えないほどの愛嬌ふりまきまくりでした。 最後はおきまりの記念写真。今年の年賀状写真の候補ですな〜。(笑) さて、一行は水族館を後にして今回の旅行のメインイベントのために長崎港へ。 さて、いよいよ軍艦島に向けて出向です。 長崎は「造船の町」。長崎港を出発すると造船所が見えてきます。その数(造船ドッグ)がまた凄い。大、小、そしてメチャメチャ巨大なものまであるんですね〜。写真右は長崎港の入り口に新しく登場した吊り橋です。歩道もあって歩いてわたれるそうだ。もちろん車は有料(100円?)だそうです。この吊り橋をくぐると長崎港の外側になるんだけど、すぐに巨大な造船ドッグが現れてきます。長崎市内からは普段見えないところにあるのでこの存在は知らなかったな〜。(写真は無いんですけど) さて、長崎港を出発して40分ほどたつと、みえてきました「軍艦島」。 軍艦島は炭坑の島。開山は以外に古く明治時代中期。写真左の赤煉瓦あたりに縦坑があってその深さは600m\(◎o◎)/!だそうです。その赤煉瓦の上に見える建物は日本で最古の鉄筋コンクリートの建造物だそうです。最盛期は1960年でそのときの島の人口は約5300人\(◎o◎)/!人口密度は同時本土で最高だった東京の実に9倍で「世界一」だったそうです。1974年に閉山してからは、ま、当然ですが無人の廃墟の島と化してしまったのです。写真右の白い建物は「小中学校」。屋上には体育館らしきものも確認できました。今はこうして外から眺めることしかできませんが、平成21年には上陸して観光出来るようになるそうです。 ちょっと怖い?(^。^;)場所から帰還して、次に向かったのは「出島」数年前に一体が整備されて新しく記念館等がオープンしていました。 さて、長崎から雲仙へ一気に移動して、今回のお宿「雲仙みかどホテル本館」へとやって参りました。今回の慰安旅行、行き先の決定はこのお宿を決めたところから始まりました。このホテル、リニューアルしてまだ間もないんですけど非常にきれいで、また食事が凄いんですよ。ホテルのホームページで紹介されていますが、我々も「ま、見本なんてどこもこんなモンだし、話半分かな〜。」なんて思っていたのですが、それがそのまま目の前に並んでいました。お肉の霜降りの入り方、お寿司のネタの新鮮さ、その他の食材の多さは現実でした。 しかも各種アルコール、ソフトドリンクも飲み放題。 一夜明けて、雲仙地獄を観光。まずは「駄菓子博物館」へ。所狭しと駄菓子や昭和のおもちゃが並んでいました。 なにかいいものが見つかったかな? こちらは雲仙岳災害記念館。こちらも6年前に来ましたが、当時まゆこは身長が足りず、「平成大噴火シアター」を見ることが出来なかったのですが、もちろん今回はバッチリ見ることが出来ました。 火砕流の現場から10年以上も経って発見された日テレのビデオカメラ。熱によって変形しています。撮影していたカメラマンは予期せぬ突然の大火砕流の犠牲となってしまいましたが、なんとその中にあったビデオテープには直前の映像がそのまま残されていました。その映像は復元されてそこで流されていました。 近くで見学出来ることもあって、非常に生々しいです。お昼時だったので、道の駅で島原名物「島原そうめん」を頂きました。 火砕流による熱風でコンクリート部分をのこして内部は焼失してしまっています。 旧大野木場小学校に隣接して国土交通省が建てた雲仙復興事務所があります。内部は普賢岳に関する資料館になっていて、無料で見学することが出来ます。ビデオ上映もありました。最上階は展望台になっていて、今の普賢岳を観察することが出来ます。 天守閣からは島原市が一望出来ます。けっこう立派なお城だったんですね。 今回の家族旅行。天気予報では「雨」だったんですけど、旅行中は曇りはしましたが時折日差しもさしてなんと雨は一滴も降りませんでした〜。晴れ男健在!(^-^)/ もっと色々観光する計画だったんですけど、一泊二日ではここまでが限界。
|